文芸春秋の編集長を務め、後、太平洋戦争をテーマに作品を多く残している作家、半藤一利による作品。半藤氏がスタッフの取材に対して講義風に語る形で取材されたため、語り口調となっている。2003年末にまとめられ、2004年に出版された。
日本人にとって日中戦争、太平洋戦争は、それまで築き上げてきた国をまたゼロに戻してしまった最大の過ちである。この本はその戦争をするに至ったかを昭和元年から追っている。
戦後振り返ってみれば、明らかに無謀なアメリカとの戦争になぜ突入したのか?アメリカに追い込まれ、窮鼠猫を噛むといった形だったのか?この本を読んだ後の理解では、アメリカはヨーロッパ戦線に参入する理由が必要で、日本との戦争に突入することで、ドイツからも宣戦布告を受けることを狙い日本を戦争に誘い込んだように思える。そして、日本は日本でアメリカの工業力がフル稼働し、軍備で差が開いてしまって後では勝てるチャンスはなく、海軍軍備の比率が一番接近する1945年が最後のチャンスだと考えたようだ。
当時の軍部ですら勝てるとはさらさら思っていなかったにも関わらず、開戦を決意したのにはそれまでの戦争のように一定のところで講和という形を考えていたからに違いない。しかし、第2次世界大戦は一方が完全に叩きのめされるまでの総力戦であったために、講和は実らず日本は壊滅的な被害を受けるまで戦争をやめることができなかった。
戦前の日本が軍国主義一色でずっと突っ走ってきたかというとどうやらそうでもなかったらしい。軍国主義、全体主義的なカラーが鮮明になったのは昭和10年頃からであり、明治・大正時代は立憲君主制的なシステムがうまく機能していたように見える。それがどのようにして軍部独走につながるのか?やはり5・15事件を皮切りに、次々に発生する軍部若手将校らによる要人暗殺事件、つまりテロによる恐怖が言論・政治を封殺してしまったことが最大の要因だ。
戦争が近くなるにつれ、皇軍だの神の国だのいうようになるのだが、そういって天皇を神格化していたように思われる軍部は昭和天皇の言うことを聞いていなかったことも分かる。満州・中国への進出についても天皇に苦言を呈せられることが何度もありながら押し進めて行ってしまったし、対米戦争についても反対の意見を持っていたことが伺える。結局のところ、軍部は一般民衆のコントロールするために天皇を利用したといえよう。とはいえ、天皇は政治に関与しない「機関」としてのスタンスを取ったというのが著者の立場であり、これが必ずしもその通りだったのかは、これ1冊では決められない。
日本を悲惨な戦争に導いた責任の一端はマスコミにもある。新聞の売り上げを伸ばすために、ナショナリズムを煽り立てるような記事を連日掲載し、国民の冷静な判断力を奪い、戦争に駆り立てた責任は重い。朝日新聞や東京日日新聞(今の毎日新聞)が例に挙げられていたから、どこも同じ論調だったのだろう。翻って、今はどうなのだろうか?マスコミの姿勢が良くなっているとは思えず、とても心配だ。21世紀の日本でも、マスコミは妄想を煽り立て、それに大衆は乗せられている。サッカーやオリンピックの報道を見ると、マスコミの本質は同じで、いずれ同じことが繰り返されてしまうのではないかと危惧される。日本代表や日本選手を実力以上に宣伝し、メダル確実、予選リーグ突破確実といって大衆はその気にさせられ熱狂するが、現実にはそれほどの力はなく惨敗に終わるというパターンを何度も見ている。都合よく現実を解釈してしまうという欠点は、日本がアメリカ軍に連戦連勝、これなら勝てるんじゃないかという報道をし続けた当時のマスコミ、そしてそれに踊らされて幻想を見た大衆と同じではないかと思う。
同じく太平洋戦争へ突き進む戦前の日本を描いた「落日燃ゆ」との比較をしたいと思う。
太平洋戦争へ突入する遠因はソ連の脅威だったということはこの本でも共通している。日本を北からの脅威から守るために朝鮮半島を押さえ、その朝鮮を守るためにその先の満州に進出するという論理で外へ外へと進出していったことが結果的に日本の首を絞めた。またその満州で石油が出なかったことで、石油を求めて南下政策を取り、結果として米英との対立を招き対米戦争に至るのは同じだ。この本を読んでも、軍部の独走、政治決断のミスが1つずつ積み重なった結果、最悪の結果を招いたことが良くわかる。
「落日燃ゆ」では悲運の善なる政治家として描かれていた広田弘毅だが、それを読んだ時には一方的な性格付けにちょっと違和感があった。この本でもそれについて簡単に触れられているが、広田弘毅にもいくつかの重大な失策があり、最悪の結果を招いた責任の一端はあるように思える。具体的には彼が軍部との妥協のために、大臣現役武官制を復活させたため、内閣は軍部の指示が無い限り機能しなくなってしまった。このために政治が軍をコントロールできなくなった弊害はあまりに大きい。
日本は戦争に負けた。受け取り方の違いはあれど、戦争中に非人道的な行為があり、その責任は問われるべきものだ。しかし、そもそも戦争行為自体が非人道的なのであって、どの軍隊による殺し合いも正当化すべきでない。アメリカ軍による沖縄での地上戦、焼夷弾による本土爆撃、そして原子爆弾投はどれも10万人以上を超える市民が犠牲になっている。戦争に勝ったからこそ責任を問われないだけで、立場が逆なら確実に戦争責任を問われるはずだ。戦争を早く終わらせるとか、これがなければもっと多くの犠牲者が出たとか、いかなる大義名分があろうと、ある人間が他の人間に災禍をもたらすことはやはり認められない。戦争を避けることが人道的である唯一の方法かと思う。
太平洋戦争のように壊滅的ダメージを受けることはもう二度と起こもらっては困る。「悲惨な戦争を繰り返してはいけない」と経文のように唱えるだけではダメで、その方向へ進む小さな出来事を一つ一つ阻止していかなければならない。分かっていても後戻りできないところまでいってしまっては、もう手遅れなのである。憲法や政治システムがどのように作られていても、まずい方向に物事が進み始めればどんなによく考えられたシステムでも崩せるということは歴史を見れば分かることだ。まずは簡単に聞こえ難しいことだとは思うが、常に世論が冷静な判断を下せるよう、世論の熱狂を防ぐことを自分自身から気をつけたい。
(2007/05/06)
昭和史 半藤一利
平凡社 1600円(税別)
2004年2月10日 初版第1刷
2004年3月6日 初版第3刷
関連ページ
-
落日燃ゆ 太平洋戦争に至る日本を描くという作品。
-
読書感想文