プリンシプルのない日本
名前を聞いたことはあっても何をした人なのか、同時代人でなければ分からないこの人。白洲次郎は女性に受けそうなダンディーな雰囲気の人物である。吉田茂の側近として、戦中、戦後に活躍をしたようだし、東北電力の会長も務めた人物である。太平洋戦争突入に際して、日本の敗戦を予期し、自ら早々と疎開し、農業に励むという先見の明もあった。
かくしてその人物の示唆に富む著作を期待して読んだのだが、残念ながら期待はずれだった。文芸春秋に戦後復興が軌道に乗る前の昭和28年頃を中心に投稿していたエッセイをまとめたものなのだが、どれも日本に対する嘆きが続く。
当時の日本を嘆いていることを読んでみると、それは今の日本を嘆くのとまったく変わっていないことが分かる。日本の外交、産業界、官僚と嘆きの対象は今も変わらない。日本の現状を嘆いたところで、何も変わらないということが悲しくも良く伝わってくる。それなりの人物が嘆いたとしてもだ。
つまりこれは反面教師とするしかない。世間への不満を嘆いたところで、それが変わるわけではない。呆れ嘆くより、自らだけでもいいからそれを変えるべく黙って努力しはじめなければならない。ダメなものを叩くより、良いものを褒めよう。
「プリンシプルのない日本」 白洲次郎 新潮文庫
