ディズニーランドという聖地
ディズニーランドという聖地
能登路雅子
岩波新書
先月、アナハイムにあるディズニーランドに行く機会があったので、ディズニーランドにまつわる新書を読んでみた。出版されたのは1990年である。
どういった思想の元にウォルト・ディズニーがディズニーランドを作り、アメリカ国民に受け入れられたかをコンパクトにまとめられていて実に効率が良い。著者の主張も特におかしなところはなく、読み終われば書いてある事に納得ができる。ディズニーランドが他の遊園地やテーマパークから頭ひとつ抜きん出ていることがわかる一冊だと思う。
ディズニーランドでほぼ1週間過ごし日常生活に帰ってくると、「ああ、現実に戻って来たんだな」と感じてしまった。パレードを見ていた時に、思わず「ミニーちゃんだー!」といって手を振ってしまう気持ちになってしまっていつつも、それと同時に、The happiest place on earthというキャッチフレーズやディズニーランドという空間の「人工的感」に違和感も感じた。この本でも述べられているのだが、本物以上のニセモノ、理想化された過去の郷愁とでもいうのか、多少の嘘っぽさにシラケずに乗れるのか、それとも引いてしまうのか、滞在中の1週間はその2つが攻めつ、攻められつつの攻防を繰り広げていたように思う。今回はディズニーマジックがギリギリのところで勝ったと感じだ。
細かいところにまでの徹底的なこだわりで、模倣としてはディズニーランドはかなり良い線を行っている。一方で、本物の凄さというものがどうしてもないというところにあと一歩届かない感じがある。例えば蒸気機関車は、遊園地の乗り物としては良く出来ていると思う。20分間という時間はアトラクションとしては十分だし、4つの駅、その間のさまざまな仕掛けで楽しめるようになっている。しかし、それは未だに現役で走っている蒸気機関車の本物の美しさには到底及ばない。
ディズニーランド、そしてウォルトディズニーワールドで追求されている完璧に一点でコントロールされている世界をどう考えるべきか。ディズニーランド建設で用地買収があまりできなかった為に道の反対側に「質の悪いホテル」が乱立し、法外な儲けを挙げているという嘆きがあった。しかし、現実を見てみれば、ディズニー自体が儲けに走っていることや、品質をどこまで追求しているのか(たとえばレストランの食事のレベル)ということによって、一点でのコントロールの悪い面も見えてしまった。
ディズニーランドの入場料は高騰し今や1日$70を越えるところまで来てしまった。パーク内のレストランの食べ物は美味しくない上高いという評判だし、パーク外でディズニーが作っているダウンタウンの食事のレベルも到底満足することはできないレベルだ。そして、ディズニーのエクスペリエンスにそぐわないということなのか、中華料理に至っては食べることさえ難しい。食事に関して言えばディズニーが良しとしているレベルが低いためか、まったく満足行かないレベルで1週間我慢しなければならないわけだ。これでは至福の時を経験できないことになる。
まあ遊園地にそんなことを求めること自体が間違いなんだろうけれど、ディズニーによる完全なエクスペリエンスの提供をさらに追求しているディズニーワールドに行った時、自分はどう感じるのかが興味のあるところだ。
まとめてみると、ウォルト・ディズニーがそれまでの遊園地とは違う次元でディズニーランドを生み出し、開園50年を過ぎた今もその思想が色褪せていないということが1つ。これは賞賛に値する。しかし、その思想ややり方が理想的な方法だったかというとそうではないだろうということになる。
これだけ考えを巡らせるきっかけになったという意味でみれば、これは読む価値大であった。
(2008/02/16)