ヴァルター グロピウス
Walter Gropius
バウハウスの設立者として有名。
バウハウス初代学長(
ヴァン ド ヴェルドの推薦による)
グロピウスの作品
バウハウス デッサウ校舎を設計(1926)
ファグス製靴工場(Faguswerk 1911):
ベーレンスのAEG社のタービン工場(1909)に影響を受ける。グロピウスが請け負った最初の大きな仕事で、この設計のためにベーレンスを事務所を辞めて独立した。ガラスと鉄骨がむき出しになった3階建ての建物。現在でも歴史的建造物として保存されている。
ファイニンガーハウス: マイスターのための住宅。
MetLifeビルディング[旧パンナムビル]: ニューヨーク(1963)
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設計会社はEmery Roth & Sons。Pietro Belluschiとグロピウスは設計コンサルタントとして設計に参加。インターナショナル様式。完成当時は世界最大の商業ビルだった。Park Ave.の見通しを分断する形で建っている。オフィス床面積は2800万平方フィート。808フィート、58階建て。1981年にMetLifeが$400Mで購入。今もMetLifeビルの名称で呼ばれているが2005年には$1.72Bで所有権を売却しているようだ。
以前は屋上のヘリポートをJFKへのシャトル便に利用していたが、ヘリコプター事故の後使用されなくなった。完成当時、ニューヨークの住民には景観を損ねていると評判が悪かったが、現在では評価の見直しの動きもある。
グロピウスの年表
1903年からミュンヘン工科大学、1905年から2年間はベルリンの工科大学で建築を学んだ。
1907年〜1910年
ピーター ベーレンスの助手を勤める。
1910年 同僚の
アドルフ マイヤーとともに建築事務所を設立して独立。〜1925年。
1919年 ワイマールにて
バウハウスを設立。
1914年
ドイツ工作連盟の展覧会で注目を集める。展覧会の管理ビル(? Werkbund building)の設計を行った。ここでは新しい技術を建築に積極的に取り入れた。ガラス張りの螺旋階段など。この建物は第一次世界大戦で喪失。
1926年 バウハウス デッサウ校舎を設計。
1928 マイスター同士の芸術理念の対立がもとで学長を辞任。次の学長にハンネス マイヤーを推薦。or 自らの建築活動に専念するため(2)?
1933年 ナチスによりバウハウスが閉鎖される。グロピウスはイギリスに亡命。
1937年にハーバードのデザイン大学院に招聘される
1938年より建築学部の学部長。
マサチューセッツ州リンカーンに自宅を建設。
1946年、マサチューセッツ州ケンブリッジにThe Architects Collaborativeを設立。
1969年7月5日 ボストンで亡くなった。
山口文象氏はグロピウスのアトリエに在籍。
関連ページ
BBCには、1968年に行われたグロピウスのインタビューの録音がある。
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